1.日米中枢部にはコミンテルンのスパイが多数潜入し、日本を中国大陸へ引き込み、米国ではルーズベルトを操り、日米開戦へ誘導した。日本を共産圏化させ東アジアを支配するためだ。ヴェノナ文書(ベノナ文書)で明らかになった。
2.日本でも、1945年2月14日 に近衛文麿が昭和天皇に対して出した上奏文には、自分がコミンテルンに操られて日本を戦争へと導いたことを懺悔している。彼は昭和12年から16年まで3度首相になり、日本の進むべき方向を誤らせた諜報人だった。昭和20年、裁判の開始前に自殺した。
3.遺書「麿(まろ)は過ちを起こしたかも知れんがアメリカが話し合わないのが悪い。ペリーだが来て開国させたのが過ちだ。アメリカに移住しようとした、イギリス人が悪いんだ。米大陸を発見したコロンブスやアメリゴ・ベスプッチだかが悪い。麿は死ぬから関係ないが。この恨み、孫に晴らさせてもらうわ。」
4.戦争を始めた原因とも言える人物だが、その責任を東条に押し付けた。近衛は何でもかんでも責任転嫁する人物だ。仮装パーティーでヒトラーのマネをしたりする、このようなきちがいが大事な時に首相に就任したことが日本のボタンのかけ違いだった。
5.近衛文麿は共産主義思想に被れていた。近衛内閣の外務大臣であった松岡洋右は近衛には気をつけろと残している。松岡は国際連盟を脱退したことで有名だ。連盟を脱退して、独自の外交を模索したが、世界支配層と繋がっている近衛は松岡の民族主義を許さず、これを更迭した。
6.近衛は東大哲学部を卒業し、京大教授で共産主義の大御所、河上肇の元へ行った。近衛は「米英本位の平和主義を排す」といい、ユダヤ人のオスカー・ワールド著「社会主義化における人間の魂」を翻訳し発禁になった。近衛家は藤原家の流れで五摂家の筆頭、天皇の前で唯一、足を組むことを許された。
7.ガラスケースに飾られた「共産主義思想」を眺め、貧しい者たちは共産主義とは愛情あふれ、ヒューマニズムにあふれていると勘違いした。近衛は自分の思想を実現するために、日本を混乱のどん底に陥れ共産主義化を企てていた。長男をスターリンの元に送り、日本共産化を計画していた。
8.第一次内閣(1937.6〜39.1)で蘆溝橋事件に対応、軍部に押されて日中戦争拡大させ戦時体制を強化した。第二次(1940.7〜41.7)組閣で、北部仏印進駐、日独伊三国同盟、日ソ中立条約など米国との対決。第3次(41.7〜41.10)で日米交渉に行き詰まり総辞職、敗戦後自殺。
9.それにもかかわらず、老若男女、資本家も労働者も、地主も農民も、軍部も政党も、国家主義者も自由主義者も、誰もが近衛の登場を歓迎した。「私は各方面の御協力と支持を得たい」。近衛の願いはそのとおりになった。