人種差別は欧米の特権
1.第一次大戦後、1919年パリ講和会議で国際連盟の発起があり、日本は人種差別撤廃条項を提出し、賛成11反対5であったが、米ウイルソン議長が反対者があるのでという理由で却下した。第二次大戦でも東條首相はユダヤ人救済を許可したが、これでは東京裁判が成り立たないから、リトアニアの外交官杉原千畝の個人業績とした。
2.1939年9月1日独軍がポーランドに侵攻。9月3日には英仏がドイツに宣戦布告。戦火は拡大して第二次世界大戦が始まった。ナチス党を率いるヒトラーはドイツ国内にいる52万人のユダヤ人に対する迫害と強制退去をはじめる。公職追放、企業経営禁止、市民としての生活権も否定した。
3.日本はドイツと同盟を結んでいたので、独からの抗議にも拘わらず、ユダヤ人救済に国を挙げて手を貸した。この事実は日本を糾弾する東京裁判では邪魔にあんるから、杉原個人の業績にしてしまった。シベリアから満洲を通り日本への移送など、政府が関与しないでできるわけがない。
4.欧米各国の人種差別は自然なことだった。朝鮮や台湾では、義務教育の普及、学校の建設、道路、鉄道、治水、衛生などへの莫大な投資を行った。 欧米は植民地からの搾取が目的で愚民政策を行っていたのとは基本的に違っていた。日本人による人道的な行動は高い評価を受けるべきだ。
5.ユダヤ人は排斥政策は、ドイツにとどまらず、多くのヨーロッパ諸国に広がった。急増するユダヤ難民問題を解決するために、アメリカの提案による第1回救済国際委員会が、1938年(昭和13年)3月フランスで開かれた。しかし、会議に出席した各国のユダヤ人に対しての反応は冷たかった。
6.敦賀市にある「人道の港敦賀ムゼウム」に、ポーランドのシベリア孤児救出に関する写真や展示物とともに、杉原千畝氏がユダヤ人に対して命のピザを発給して、6000人の人達を救ったことに関する写真や、当時の細かい状況が詳細に伝えられている。http://shizenjin.net/guide/gid_121521366D73241G208.html…