1.第一次大戦後、1919年パリ講和会議で国際連盟の発起があり、日本は人種差別撤廃条項を提出し、賛成11反対5であったが、米ウイルソン議長が反対者があるのでという理由で却下した。第二次大戦でも東條首相はユダヤ人救済を許可したが、これでは東京裁判が成り立たないから、リトアニアの外交官杉原千畝の個人業績とした。
1.二・二六事件は1936年2月26日から2月29日 陸軍の皇道派の影響を受けた青年将校らが1400名の兵を率い、昭和維新断行・尊皇討奸を掲げて起こしたクーデター未遂事件である。現行政治は天皇の意思に沿わないというもので 陸軍内部でのこれに対立する派閥は元老・重臣を中心とする統制派であった。