疲労した組織
今から100年前の1912年は明治の最後の年で、大正の始まる年だった。それは明治45年だから、今年は明治145年となる。明治維新の頃は、漸く小規模な水力発電が始まったばかりで、未だ東京の町はガス灯が支配していた。文明開化の掛け声とともに、いまの北朝鮮みたいに産業奨励と富国強兵が明治政府の大方針となった。欧米諸国から法律や行政組織、大学運営から教授たちまで輸入して、近代化の勉強を重ねて、その時にでき上がったのが英国から導入した政府の行政組織だ。
花はどうして色があるか
高校の時に習った理科では、1年で化学、2年で物理、3年で地学を選択した。生物もあったが、何だか分類学みたいなもので、暗記モノが多いという理由で選択しなかった。大学受験では物理と化学を選んだ。その当時の教科書には量子的な話は物理の最後の方で出てくる程度だった。化学では周期律表を学んだが、縦と横に並んでいる元素の間には共通する性質があると言うぐらいで、量子的な説明はなかった。
1945年1月27日
67年前のこの日は北から進軍してきたソ連軍によって、アウシュビッツ強制収容所が開放された日だ。敗戦を予想したドイツ軍は施設のすべてを破壊して、忌まわしい歴史を完全に消し去ろうとしたが、生存者7500人とかなりの建物が残されて、現在、博物館として保存されている。クラクフ市から南西へ車で1時間ほどのオシフィエンチムに第一収容所、その西側のビルケナウに第二収容所がある。1979年ユネスコの第2回目の登録で、負の文化遺産とされた。
福島原発事故で有名となった原子力安全委員会の班目春樹委員長と代谷誠治委員が、就任前後の3〜4年間に原子力関連企業や業界団体から400万円の寄付を受けていたことがばれた。委員会と委員長は許認可権を持っているのだから、受け取る方も受け取る方だ。供応買収にあたらないか。安全委の下部組織の専門審査会で、非常勤で審査を担当する複数の委員も、審査対象企業などから寄付を受けていたという。
史上最大の論文捏造 電子顕微鏡でしか見ることのできないウイルスを、まだ電子顕微鏡のなかった時代に見たと論文にしていた野口英世博士の記事を、第一回野口英世アフリカ賞に関連して記事にした。野口博士がはたして論文の捏造があったのかどうかは分からないが、医学や生物学などのバイオ関連の分野では、論文捏造が圧倒的に多いことが知られている。米国では研究公正局という公の機関まで存在している。