1.井上毅が作成した教育勅語の目的は、彼の造語である「宗教」という概念を日本に定着させるためだった。欧州文明国をみた井上は日本に欠けているのは「国教」だと考え、「世に宗教なきときは政府たるもの幾分か此の宗教の力をかりて以て治安の器具となさざる事を得ず」と述べている。
2.今でも、新年に神社、葬式はお寺、七五三は神社、結婚式は教会、暮れにはクリスマスなどと使い分けて、無神論者と自嘲的に嘯く日本人が多い。「日本人は宗教なしで如何にして高いモラルを保っているのか」と疑問をもつ欧米人がいる。神道はどの宗教派も受け入れる世界稀なる古来の伝統文化だと胸を張ればよい。
3.井上は「国民多数の信仰ある宗旨を用ふべし」として仏教か儒教を国教にしようとしたが、国民を統合できないことを知り教育勅語を起草した。全てを統合するには中立で無内容とし315字の訓話となった。人として当然の内容だが全国民が暗唱するうちに法を超えた「詔勅」で行政の裁量にも利用された。
4.儒学者である元田永孚(もとだ ながざね、1818 - 1891 )は、新たに道徳教育に関する勅語を起草するに際し儒教に基づく独自の案を作成していたg、井上原案に接するとこれに同調した。元田は熊本藩の藩校時習館の同窓(先輩)である。内閣法制局長官井上は語句や構成を練り、宗教性を排除した最終案を完成した。
5.レーガン大統領の時代に米国の若者への道徳教育の為の新たな指針と言うことで、日本の修身が再認識され道徳教育で使われるようになった。米国の道徳教育改革を担っていた米国の文部長官を務めたW・ベネット氏は、レーガン政権の道徳教育の担当者としての知識を「The Book of Virtues」(道徳読本)という本にして出版した。 アメリカだけでなくドイツやイギリスにも広がった。日本の修身が、現代になって再び認められるようになったということは、日本の失われた道徳教育は正しいものであったということが証明された。(修身 日本と世界 )