1.正史(せいし)と稗史(はいし)で、正史はときの政権の正統な史書。稗史は民間から集めた異なる史書で戯曲、小説、作り話のたぐいだ。支那では横暴を振るって政権を奪った者が自らの行った非道を全て前の政権の「せい」にする。自らの王朝の正統性を証明するため、悪い事は他人の「せい」にする。
2.「稗史」とは働く人の歴史だ。支那では仕事をしないで、政治ごっこにうつつを抜かす者が優秀な人で、働く人は下賤の者という思考だ。今でもそうで、優秀な大学を出たエリートは官僚にも、上場会社の社員にもならないで工作員になる。仕事をしないで儲かるし、儲けている人から金をふんだくれる。
3.日本では価値観が逆で野山で働く人こそが国のたからだ。その意味では「他人のせい史」よりも、民間の「働く人々の言い伝え」の方が遥かにまともだ。このことから2つの違いがもたらし、それは「共同」と「利益」だ。
4.モノをつくりを国の中心に据えると、作る人がその国のエリートとなる。稲作では田んぼで働く人々が最高のたからだ。モノ作りは人々の生活を豊かにし、自分が働き、より良いモノをつくることに貢献することで、多くの人々を支えることができる。社会の価値観の中心が「共同」になる。
5.流通を国の柱に据えると、利益をあげる者が、国のエリートになる。そして国家規模で利益をあげる者は、他国から財物を収奪してくる者であったり、庶民から作物や財物を巻き上げる者となる。価値観の中心が「利益」にあるからだ。太古の昔から正統な国の主の存在で王朝の正統性など記す必要がない。
6.本能寺の変で攻め手となった光秀は、信長から罵られたとに腹を立てて、本能寺に攻め込んだというのが、表むきの歴史だ。しかし光秀ほどの人物がその程度のことで腹を立てるような男なら、そもそも信長によって重用されることはない。動機は何だが表むきの歴史にはないから「行間を読む」となる。
7.「禿鼠」と罵られた程度で大軍を動かすなどと、その程度にしか読むことができないような者なら、要職に就ける必要もないし、国家を大きく動かすような人材にもなりえない。学問はその人の「学を問う」もので、ただ記憶力が優れているだけでは、実社会で使い物にならない。古くからの日本の価値観だ。
8.ただ記憶力が良いだけ、書いてあることだけが真実と思い込む馬鹿者が多く、その馬鹿者が優秀とみなされて、出世街道にのぼる。その結果は、明治以降の日本で見事に証明されている。企業が大きくなると、そのようなエリートを採用するが、そのようなエリートばかりになった会社はいずれ倒産する。
9.明智光秀の辞世の句 「逆順二門なし 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来たり一元に帰す」「孟子の放伐の論理の実行」と言う意味では、「天下を狙う」欲望はなかった。 光秀の計画は、朝廷を見下し「公家朝廷殲滅計画」「天皇家に刃向かう大悪党」信長殲滅となる。