ある女子大教授の つぶやき

日常の生活で気がついたことを随想風に綴ってみたいと思います。
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海賊と呼ばれた男
1.明治18年に福岡県で生まれた国岡鐵造は神戸高商に進学した。校長から商人としての生き方を学び、高商の近くに住む資産家日田重太郎に問われて「中間搾取のない商いをしたい」と答えた。卒業後、従業員3人の酒井商会に入り、丁稚として大八車に小麦粉を積んで神戸の町を歩きまわった。

2.3年ぶりに日田から提供された大金をもって故郷に帰り、門司で国岡商店を旗揚げした。石油の将来性に目をつけ、関門海峡で漁船に軽由を売り、国岡商会の伝馬船は海賊と呼ばれた。国内での限界を感じ取り、満洲や上海に進出して販路を拡大したが、米国から石油を阻まれた。

3.窮地に陥った日本は東南アジアの油田地帯を占領するため米英に宣戦布告した。石油部門が統合され、国策会社帝国石油が誕生。敗戦により鐵造は海外の資産を全てを失い、膨大な借金が残り鐵造は還暦を迎えていた。焼失を免れた銀座の本社で、社員を解雇せず、GHQと交渉して公職追放を免れた。

4.官僚的な公団や旧体質の石油業界に反発しながら、民族資本の商店でタンクを購入し、タンカーを建造した。やがて朝鮮戦争が勃発し、日本は米軍の補給基地化とされ、反共の防波堤として、日本に製油所施設や精錬能力が必要とされるようになった。メジャーの陰で石油を輸入し、「アポロ」と名づけて全国営業所で販売した。

5.1950年にイランで油田国有化運動が起こり、モサデク委員長の元で議会は石油国有化を可決した。利権を失った英国は猛反発しイラン原油を封殺した。モサデクは首相になったが、イランにタンカーを送る会社はなくなった。鐵造はイラン救済は商会に課せられた使命と宣言し、所有するタンカー日章丸をイランへ送った。

6.「海賊と呼ばれた男」
   原作:百田尚樹
   12月10日ロードショー
http://kaizoku-movie.jp

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