原爆について
1.戦争には戦時国際法と言うルールがある。人が人を殺し殺されることは悲しいことだが、そこにも一定のルールがある。軍服は戦う人を意味し、軍服、制帽、武器を持てばば殺しても構わないというのが戦時国際法だ。だから非武装「無辜の市民への虐殺」は犯罪だ。ナチスはこれを犯した。
2.原爆は無辜の市民への虐殺で終戦の詔勅に「加之(しかのみならず)、敵は新(あらた)に残虐なる爆弾を使用して、頻(しきり)に無辜を殺傷し惨害の及ぶ所、真(まこと)に測(はか)るべからざるに至る」とある。「新に残虐なる爆弾」原爆で、これは戦争ではないと聖断した。
3.戦場において、ある程度市民に犠牲者が出てしまうことは、やむを得ない。戦争は非常時で先に避難せず、そこにいた方が悪いと考えるのも戦時国際法だ。しかし原爆の一般市民への使用は「戦闘に巻き込まれた被災者」とは意味が違う。戦争のルールを逸脱し明確な戦時国際法違反だ。
4.原爆投下は「国際ルールに基づいた究極の国家外交としての戦争」ではなくなった事を意味する。「リングの中での打ち合い」ではなく、ルールのない「場外乱闘」になった。もはや戦争ではなくただの殺し合いだ。民族存亡どころか人類存亡の問題だ。日本も原爆をほぼ完成していたから復讐できる能力はあった。
5.日本は原爆、ジェット戦闘機、航空燃料も備蓄していた。つまり、日本は戦争継続できた。だから大本営は戦争の継続を奏上していた。しかし天皇は敵の新型爆弾(原爆)の使用が確認されると、すぐに終戦に向けて動かれ、2度めの原爆が長崎に落とされた9日には、終戦詔勅の準備を始めた。
6.平和記念公園には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻んだ慰霊碑。この碑文に書かれた「過ち」というのは、先の大戦における原爆投下のことを意味している。争いのルール違反は許せない。わが国の御心であり終戦の意味であり、平和を愛する民としての日本人の生き方である。
7.戦争が無辜の民を虐殺するような乱闘になるのなら、我々はたとえその戦を放棄してでも名誉ある撤退を選ぶ。我が国はそういう国だし、日本人としての誇りだ。明治維新後、150年、わが国は決して世界に愧じない堂々たる近代国家を形成してきた。戦後、自虐史観を埋め込まれた人も、この機会によく考えてみよう。