ある女子大教授の つぶやき

日常の生活で気がついたことを随想風に綴ってみたいと思います。
フローベル

フローベル
1.『ボヴァリー夫人』(Mme Bovary)はフローベールの長編小説。田舎の平凡な結婚生活に倦んだ若い女主人公エマ・ボヴァリーが自由で華やかな世界に憧れ、不倫や借金地獄に追い詰められた末、人生そのものに絶望し服毒自殺する物語。19世紀フランス文学の名作、フローベールの代表作。
2.『ボヴァリー夫人』を完成させたフローベールはすぐに『聖アントワーヌの誘惑』の改作を試み、古代カルタゴを舞台にした『サランボー』に取り掛かった。作品ごとに膨大な資料を読み込み文体を練り上げる創作方法のため、フローベールは数年に1作のペースで少数の作品を発表していくことになる。
3.「サランボー」はカルタゴの将軍バルカ(ハンニバルの父親)の娘という設定の女性の名。巫女であった彼女は、戦争後に起こった傭兵の反乱において、女神タニットを祀る神殿から奪われた聖布を取り返すよう命じられ、ひとり反乱軍の指導者マトーの天幕を訪れる。彼女は聖布を取り返した。
4.彼女に恋焦がれるマトーと一夜をともにしたことによって彼女自身もマトーを愛するようになり、反乱の鎮圧後、捕えられて儀式の生贄となったマトーの姿を見て煩悶のうちに死ぬ、という筋で、ロマン的な主題ながら写実的な表現技法がとられている。
5.フロベール『サランボオ』神部孝訳、角川文庫、1954年
宮廷やサロンでは本作がもてはやされ、仮面舞踏会でカルタゴ風の衣装が流行するなど当時のモードにも影響を与えている。後にはムソルグスキーの未完の作品をはじめとする複数のオペラ化の試みのほか映画などの題材にもなった

 

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量子コンピュータ 光の活用

続き 2018−5−6
7.現在、量子テレポーテーションを利用して1回の計算処理を行うためには、縦4m×横2mの大きな装置が必要で、膨大な計算処理を同時に行える実用化モデルを作ろうとすると、巨大な装置が必要となってしまうのが壁だ。そこで古澤教授が考えたのが、光の粒をループ状の回路の中で周回させながら、1つの回路で繰り返し計算処理をおこなうというものだ。量子もつれの状態に出来る光の粒を100万個同時に作り出すことに成功したことで、この原理の実用化にメドがついた。
8.実際にこの原理で作動する量子コンピューターがお目見えするまでには、まだ時間がかかるが、これまでの量子コンピューターをすべてひっくり返すような、まさに『究極の量子コンピューター』になる。
9.組み合わせ最適化問題を効率的に解くのに特化したカナダのマシンだが、グーグルやNASA、ロッキードなど最先端の科学研究を行う企業や研究機関が相次いで導入した。またIBMやMSはアニーリングマシンとは別のタイプの量子コンピューターの開発に独自に取り組んでいて、競争は激しさを増すばかりだ。
10.ヨーロッパや中国でも大がかりな投資が始まっていて、スタートの号砲が鳴った状態だ。こうした中で日本がどう取り組めば良いのかについて、西森秀稔教授は日本独自の方向性、ソフト開発などに目的をしぼると強調する。その上で「古澤先生のアプローチは非常にユニークで、10年スケールで取り組むべき方法だと思う。こうした方法を見つけ出し、先を見通して投資をする『目利き』がいま求められている」と話す。
11.量子コンピューターの新たな原理を開発した東京大学の古澤明教授は「今まで提案されていなかった、まったく新しい方式を提案した。本当の意味での量子コンピューターの実現につながると思う。欧米の後追いではなく、日本で生まれた日本方式で良い量子コンピューターを作りたい」と意気込みを語る。日本発のユニークで優れた量子コンピューターが世界を席巻し、身近な渋滞問題から、地球温暖化といった人類がいま直面するグローバルな問題まで、さまざまな問題解決に役立つ日は、すぐ近くまで来ているのかも知れない。

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「戦争と平和」

1.『戦争と平和』は史実に基づいて精緻に描かれた物語としても、高く評価されている。トルストイは、ナポレオンのような歴史に残る人物を中心に描くことはしていない。むしろ彼が伝えたかったのは、戦争のさなかでも、また平和な時代においても、1人ひとりの生活があり、人間は誰もが自由で、幸福であるべきであるということだ。それを侵害することはできないことを描ている。世界中で読みつがれている名作は、その過程こそ最大の見所だ。

2.本作は1805年から始まり、1820年で終わる物語だ。歴史的に見るなら、大きな戦争を軸とした物語ということができる。エピローグから入ると、モスクワに入城したナポレオンは、街が荒廃していることに驚く。王家の姿も、兵士の姿も、市民の姿もなく、焼け野原になっていた。そんなモスクワをみて、彼は次に何をすべきかがわからなくなっていた。そんななか、そこにはナポレオンの暗殺を企てるピエールが潜んでいた。彼はナポレオンに銃口を向けるが、タイミングを逸してしまう。そこからひとまず退散する、その途中でフランス兵がモスクワ市民に略奪行為をしている場面に遭遇する。彼はそれを助けようとして、フランス兵にスパイ容疑で逮捕されてしまう。最終的に彼はフランス軍の捕虜から解放され、自分の領地に戻り、ナターシャと結ばれることになる。2人は手を取り合い、ありし日の故郷であるロシアのことを思い浮かべながら、語り合うところで物語は幕を閉じる。

3.本作はロシアの人々とナポレオンとの戦争を描いた長編小説だが、物語の最後のエピローグは史実に則った精緻な記述であるというわけではなく、むしろ、トルストイの思想的な一面が描かれている。彼はこれまでの歴史の描き方に疑問を呈している。偉人や英雄と呼ばれる人々が先導して、人々を動かしてきたのだという歴史の叙述方法を否定している。本作で名前も知られていないような兵士、1人の女性、少年なども描かれているのは、こういった理由からであると考えられる。

4.トルストイはこの作品をとおして、読者に伝えたかったことがテーマだ。この時代は、ロシアの貴族たちが祖国のよう慕っているフランスから、英雄であるナポレオンが攻めて来る。しかも若者のなかには、ナポレオンを崇拝するものまで現われる。そんな状況でフランスにかぶれたロシア人たちが、時代の追い風を一身に集めたナポレオンに抗して戦うことを余儀なくされている。結果として、ロシアの人々、特に貴族たちは脱却を迫られることとなる。貴族の生活を真正面から取り上げ、それに対する厳しい批判を加えた物語として読むこともできる。「時代の一般的傾向を自分の自立性をおびやかすものとして考え、それに抵抗するためにどのように生きるべきであるか」これこそがトルストイが描いた戦争と平和に隠された、本当のテーマだ。

5.『戦争と平和』はロシアの人々とナポレオンとの戦争を描いている。映画やドラマとしても、時代を超えて多くの人に読みつがれてきた。宝塚歌劇団でもミュージカルとして上演されるなど、その人気の高さを知ることができる。本作は文學界の金字塔となっており、登場人物の数は559人にものぼり、ストーリーも複雑に入り組んでいるので、きわめて難解な小説だ。19世紀前半のナポレオン戦争の時代が舞台となっているので、アウステルリッツの戦いや、ボロディノの戦い、モスクワを制圧、フランス軍のロシア遠征など、歴史的背景が鋭角に描かれている。またトルストイの写実主義的な側面が、最も強く発揮された作品だ。ナポレオン侵入前後の、ロシア社会の一大パノラマである。小説の舞台はロシアから中欧と広大であり、登場人物はナポレオン、アレクサンドル一世、クトウーゾフ将軍など、歴史上の著名な人物だけではなく、幾多の無名人にいたるまでの数限りない人々が登場する。さらに物語は平和から戦争、さまざまな家庭、いくつもの事件へと展開する、非常に複雑な構成となっている。

6.物語の中心となる登場人物は多く、主として4つの貴族(ボルコンスキー家・ロストフ家・ベズーホフ家・クラーギン家)の家庭を中心にくり広げられていく。ボルコンスキー家「前皇帝の重臣であったニコライ老公爵、彼の息子で志の高い優秀な実務家、ナポレオンに憧れているアンドレイ、彼の妹で信心深いキリスト教徒であるマリアがいる。マリアは父の死後、領地の農民の反抗にあって窮地に陥るが、ニコライ・ロストフに助けられ、彼と結ばれることになる」。ロストフ家「ドイツ将校であるベルグと結婚する、ロストフ家の長女であるヴェーラ、経済的な理由から従兄弟のソーニャと破局してしまう弟のニコライ、皇帝に心酔し軍に入隊するものの、初陣で戦死してしまう15歳のペーチャがいる」。ベズーホフ家「ロシアの大貴族であるベズ−ホフと庶民の女性の間に生まれるピエールが登場。アンドレイの親友だ。ナターシャを愛するものの、親友であるアンドレイに配慮して自分は身を引く。しかし彼が死んだ後、彼女と結ばれることになる」。クラーギン家「4家族のうち、もっとも品のない家族として描かれる一族。次男のアナトールは、上流社会のプレイボーイにしてならず者。物語のなかで、アンドレイと婚約中のナターシャをたぶらかし、ついには破局させてしまう。さらに、長女で絶世の美女であるエレンは社交界の花形だが、性格は非常に悪く、財産目的でピエールの妻となる。そんなピエールとは不仲だ。エレンは最終的に医者から処方されていた薬を一気飲みし、誰にも看取られることなくひとり虚しく息絶える」。

 

7.19世紀初頭のロシアは、秘密結社フリーメイソンの活動が最も盛んな時期。この時期のロシアの生活を精緻に描くためには、この要素を抜きにすることはできなかった。主人公の1人であるピエールは、煩悶から抜け出すための第一歩をフリーメイソンとしての活動に見出し、そこで活動するなかで精神的な成長を遂げるようになる。当時のロシアでは、フリーメイソンであることは必ずしも秘密にする必要はなかった。。実際その活動として、集会での議事録や出席者の名簿は、中央政府に報告するのが慣例となっていた。しかし王政の妥当を公言していたイルミナティと呼ばれる組織が浸透してきたことから、政府はフリーメイソンも警戒するようになり、1822年には禁止令が交付されることになった。

8.クラーギン家の長女エレンは、医者から2滴でよいと言われていた薬を一気に飲んで死んでしまう。彼女はなぜ、死を選んだのか。絶世の美女であり、財産目当ててピエールと結婚したエレン。つまり、彼に対して愛情はなかった。彼女は結婚をした後も不倫をしたり、奔放な生活を続ける。そんな生活が続いた後、彼女は兄のアナトールと近親相姦の末、妊娠をしてしまう。妊娠した子どもは間違いなくピエールとの子どもではなかった。しかし、アナトールとの間にできた子どもとも限らない。彼女は奔放な性生活をくり返していたわけだから、誰の子どもかなど、もはやわからなかった。そんな状況のなかで、彼女はピエールと離婚するために手紙を送る。しかしフランス軍の捕虜となっていた彼には、手紙が届かなかった。焦った彼女は、医者から2滴でよいと言われていた堕胎薬を飲み干してしまい、死に至る。彼女が死んだ理由としては、さまざまな理由が考えらる。しかし、ピエールとの関係に絶望したから死んだというわけではない。2人の夫婦関係は、最初から破綻していた。また本作が描かれた時代におけるキリスト教では堕胎は禁止されていたので、それに絶望して死んだという説も考えることができる。結局のところ、理由は想像するしかない。しかし誰の子どもかわからない子どもを育てることはできないという考えから、死を選んだと解釈するのが妥当だ。

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未来を変える7つの技術

未来を変える7つの技術
1 未来を変える技術とは
 ・テクノロジーはどう世界を変えてきたか
 ・なぜ文系でもテクノロジーを知る必要があるのか
 ・テクノロジーの進化は止められない

2 未来を変える7つの技術
顱/郵知能(AI)
 ・ディープラーニングで何ができるか
 ・AI技術、3つの特長〜認識・予測・最適化
 ・AIと人間で差がつく能力とは

髻.蹈椒謄クス
 ・ロボティクスのもたらす2つの価値〜自動化と、身体能力の拡張
 ・産業を変える操縦式ロボットと自走式ロボット
 ・人間の代替・能力共有・能力拡張で進む産業応用

鵝VR、AR
 ・VR(仮想現実)、AR(拡張現実)を動かす技術
 ・現実空間の把握と座標処理、ユーザー行動によるインプット
 ・VR、ARで時間・空間を操作し、五感を拡張する機能

堯[婿劵灰鵐團紂璽拭
 ・従来式コンピューターとの違い
 ・ゲート方式とイニングマシン方式
 ・桁違いの高速計算で機械学習が加速

 ブロックチェーン
 ・デジタル技術の真偽を確実に保証〜「不正ができない取引台帳」
 ・中央管理者不要で情報を分散化・デジタル化
 ・スマートコントラクトでサービスが変わる、電子政府で社会が変わる

 BCI(Brain Computer Interface)
 ・脳波で機械を操り、文字会話を実現
 ・人工内耳・人工網膜で生まれる「見え方・聞こえ方」
 ・人の脳と脳を直接つなぐbrain-to-brain interfaceでコミュニケーションが変わる

 ゲノム編集(CRISPR)
 ・遺伝子を自在に書き換えられるCRISPR-Cas9
 ・2018年、遺伝子編集ベビーの誕生
 ・医療・バイオ産業を根本的に変える可能性

3 指数関数的に進化する技術と企業のイノベーション
 ・イノベーションに必要なのは現在の技術でなく、SFの発想
 ・常に裏切られてきた技術発展の予想
 ・技術は企業と社会をどう変えるのか

ビジネスで今知るべき 未来を変える7つの技術
開催日時
2019年6月5日(水)13:00〜16:00

開場12:30

会場
日本経済新聞社6階 「日経・大手町セミナールーム1」(日経カンファレンス&セミナールーム内)

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2030年(令和12年)を思う

2030年の日本を思う

A.明治152年の近代史
1.今年は明治152年だ。維新以降1945年まで必死で防御して欧米諸国の餌にならないようしてきた。時には多少防御から逸脱もあったが、概ね自衛のために戦った。また、謀略で戦いに巻き込まれたこともあった。アジアの他国はおとなしく欧米に従ったのに黄猿だけは反撃したので欧米は驚いた。
2.日本の反撃は欧米には怪しからんし生意気だし無礼と映った。対等に口をきくことも反感を受けた。第一次大戦後の国際連盟発足では人種差別反対まで日本は提案し、その後の軍縮会議で虐められた。満洲支配では欧米のまねは許さんと言われ連盟を脱退した。最後にABCDの4カ国によって貿易封鎖された。
3.原爆で降参したが連合軍の怒りは収まらず、東京裁判で復讐劇が始まった。独の結果を持ってくると無罪なので法廷で数々の罪を捏造して日本を断罪した。武器を取り上げ、悪いことをしたのだという意識を日本人に埋め込んだ。これでへこたれるような人種ではなく、20年後には経済で復活していた。
4.SFO講和条約第11条で、もはや国際的にも国内的にも戦犯はいない。絞首刑の7名は復讐劇の犠牲になり、判決後1か月で弁明も聞かずに処刑された。文明国の裁判でない野蛮なことだ。その後、裁判官も、検事も、マッカーサーもこの復讐劇の誤りを間接的に認めている。
5.*明治維新=明治元年(1868年)⇒明治33年(1900)⇒明治45年=大正元年(1912)⇒大正15年=昭和元年(1926)⇒昭和20年(1945)⇒昭和64年=平成元年(1989)⇒平成31年(2019年)。

 

B.潰された日本的システム

1.高度経済成長時代も終わり、落ち着きを取り戻した1980年頃の日本は、多少の効率の悪さはあっても、日本の社会はある種の安定的なシステムに入っていた。主として、生産システムと金融システムで、前者は日本的品質管理、後者は護送船団方式と言う言葉で表される。21世紀は日本のものなど煽てられていた。
2.ヴォーゲルとカーン先生からは、称賛の言葉を頂戴して、むしろ戸惑ったのは日本側かもしれない。何故なら、そのようなシステムになることを目標としてきたわけではなく、日本で古来から育まれてきた考え方の延長上にあったからだ。その背景には、暗黙の了解、以心伝心、共存共栄、四海兄弟などがあった。

3.それでも米国の高名な未来学者から持て囃されて、多少は高揚した感じも日本には生じていた。その当時、NY勤務の辞令を手にしたので、関係する企業、大学などに挨拶周りをしたが、大方は「今さら、米国から学ぶ事はない」などと言う反応を覚えている。赴任したNYの街は犯罪の横行する心地よいものではなかった。
4.あれから35年、日米の立場は逆転した。株価は0.5倍に対して、米国は5倍と言う差だ。GDPは殆ど変わらないが、米国は4倍だ。双子の赤字に沈んでいた米国は、飛躍的に経済成長した。あの日本的なシステムは完全に崩壊した。QCはISOにとって代わられ、金融は競争原理とされた。

5.1997年11月24日は護送船団方式崩壊の象徴的事件が起きた日だ。山一證券倒産で野沢社長が記者会見で泣き崩れた。銀行は合併と再編を繰り返してきた。QCについては、様々な品質事故を起こしてきたし、最近も建設工事、農産物に至るまで、様々な不祥事を続けてきた。最近でも、川崎重工や神戸製鋼など日本を代表する大企業での品質トラブルが起きている。
6.それでも、未来学者たちがご託宣してくれた「21世紀は日本のもの」を実現する最後の機会がきていると思う。目をよくさらして未来を展望すれば、少子高齢化、自然災害、反日左翼運動などを乗り越えた先には、微かな希望の光を見ることが出来る。それは、日本の頭脳と中小企業の技術力、それらを支える大企業のシステムと構想力などだ。2年後の東京五輪を踏み台として、新たなる船出としていきたい。

 

 

C.平成30年より今後を展望する

1.平成の30年間とは、高度成長からバブル崩壊ショックで、自信喪失して全て縮み思考に陥った時期だった。金はたまったが、有効な使い方をしないで、溜め込んだから、世界一の金持ち国だが、国民の貧困化は進んで、格差社会となった。いまさら財務省がいざなみ景気などと言って、増税すればこれ以上にひどいことになる。
2.増税をやめて減税し、公共投資拡大、新幹線建設、科学技術予算倍増などと金を使えば、デフレ脱却し財政赤字などあっという間に消えてなくなる。GDPは政府の財政投資に比例するから、30年間、GDPが平らに成っているのは、金をケチっただけだ。それでも、財政赤字とGDPの比はここのところ減少し始めている。
3.40年前の高度成長はモノづくりの技術革新で達成した。今度は、カタチの見えない技術革新、つまり、画像4K、通信5G、知能AIの三種の神器で達成しよう。目標は2030年にGDP1000兆円だ。これこそ経団連のいう「社会5.0」となる。

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MMTの解説

1.「MMTが正しければ、今年10月の消費増税なんて論外だ、ということが“発覚”してしまう」という事情がある。メディアに大きな影響を持つ財務省を中心とした「緊縮派」の勢力は、MMTを躍起になって否定しようとしているわけだ。彼らにしてみれば、特に今は、10月の消費増税前の「正念場」だから、MMTが普及してしまうことを、過剰に恐れている。彼らがMMT批判に活用している、唯一のツールは「外国の権威の学者さん達」の意見。例えば、財務省が、4月17日に公表したペーパーには17人もの経済学者達のMMT批判をずらりと並べている。
https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/proceedings/material/zaiseia310417/01.pdf

2.しかし、それらの批判の多くが「単なるMMTについての認識不足」に基づくもの。例えば、シラー教授「政府はどこまでも財政赤字を無限に続けられる」というMMTは極めて悪質だと批判し、パウエルFRB議長「赤字は問題にならないという考えは全く誤っている」とMMTを批判しているが、MMTは決してそんなことは主張していない。マイルドなインフレを超えるほどの赤字拡大は控えるべきだと、明言しているのがMMTだ。それ以外の典型的なMMT批判が、クルーグマン氏の次のような批判「債務については、経済の持続可能な成長率が利子率より高いか低いかに多くを左右されるだろう。もし、これまでや現在のように成長率が利子率より高いのであれば大きな問題にならないが、金利が成長率より高くなれば債務が雪だるま式に増える可能性がある。債務は富全体を超えて無限に大きくなることはできず、残高が増えるほど、人々は高い利子を要求するだろう。つまり、ある時点において、債務の増加を食い止めるために十分大きなプライマリー黒字の達成を強いられるのである。」(2019年2月12日、NYタイムス)この指摘は要するに、国債発行額の上限は、MMTが主張するような「(マイルド)インフレになるまで」というだけでは、場合によっては債務は無限に拡大してしまうこともある、だから、債務が無限に拡大してしまうことを避けるためにも「債務対GDP比が発散させない」ということも制約の一つとして考慮すべきである、というものだ。

3.クルーグマン氏は、もともと、デフレ状況では、デフレ脱却こそが優先されるべきであり、従って、債務の拡大を気にせずデフレ脱却まで徹底的に財政拡大をすべきだ、と何度も論じてきた。このMMT批判は「アメリカの様に、デフレでない経済を想定した批判」であり、「日本の様なデフレ経済を想定した批判」ではないと言える。だから、この批判を日本の財務省がMMT批判の文脈で引用すること自体が根本的に間違っているともいえる。それはさておいても、このクルーグマン氏のMMT批判について、米国のMMT論者の一人であるケルトン女史が強く批判している。(例えば http://econdays.net/?p=10437)このケルトン女史の批判に強く賛同できる。なぜなら、クルーグマンは国債発行は、資金の枯渇をもたらし金利の上昇をもたらすと想定している一方、現実のマーケットでは(ケルトン女史が主張するように)国債発行は、資金供給量を拡大するため、金利の高騰は起こらず金利はむしろ下落する、という現象が起こっているからだ。ただし、こうしたケルトン女史の批判に加えて、「債務対GDP比の安定化条件」を加味すると、以下のように批判することもできる。

4.今回のクルーグマン氏の指摘は、国債発行額を、「(マイルド)インフレ」以下になるようにするという、いわば「マイルド・インフレ制約」を考えておけば、国債発行額を債務対GDP比が発散させない範囲内にとどめるという「債務対GDP比制約」には必ずしも配慮しなくてもいい、という理論的可能性について考察されていない。実際、日本(ならびに、現在のアメリカ)の様に債務対GDP比が少なくとも100%を超えている場合(仮に乗数効果が1にしか過ぎなかったとしても)、「債務対GDP比制約」は、事実上、現実的な水準では存在していないことが数理的に明らかにされている(https://38news.jp/economy/13526)。
(※クルーグマン氏のMMT批判に数理的に改めて反論するための下準備として公表したもの)したがって、(債務対GDP比がはるかに1を下回る国ならいざ知らず)少なくとも日本においては、クルーグマン氏の懸念は単なる「杞憂」に過ぎない。なお、ケルトン女史の指摘をさらに踏まえるなら、(債務対GDP比の水準が如何様であろうとも)マイルド・インフレ制約の方が、債務対GDP比制約よりも、より「厳しい」ものとなるという条件が成立する可能性がより高いものとなることが理論的に予想される。

なぜなら、MMTの理論的帰結として導かれ、しかも、現実の経済において観測される「国債発行額の拡大が国債金利を引き下げる」という現実の現象があり、かつ、「中央銀行の国債保有分については、政府の利払いは必要ない」という現実があるからである。以上より、クルーグマン氏が懸念する「債務対GDP比制約に配慮して、国債発行額を抑制すべき必然性」は必ずしも高くなく、かつ、少なくとも今の日本においては、その必然性は事実上皆無である。

5.なお、クルーグマン氏以外の様々な論者の批判についても、その多くは、このクルーグマン氏への反論で十分に対応可能なものだ。なぜなら、伝統的な経済学者の多くが、金利と国債発行、そして、債務対GDP比についての基本的な「現実」を踏まえていない、という事情があるからだ。クルーグマン氏をはじめとした世界の有識者達には、(MMTについてのより適正な認識の形成というよりむしろ)政府赤字と金利、そして債務対GDP比についての「実際上の関係」をしっかりと認識頂いた上で、それぞれの国情に即した適切な経済財政政策を提言されんことを申し上げたい。

追伸1:
財政政策の現実の現場では、何が効果的な「支出項目」なのかの判断が何よりも重要。ついては是非、当方の今年最初の新著であります、「インフラ・イノベーション」を参照。
https://www.amazon.co.jp/dp/459408205X
(本書の解説は: https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20190429/

追伸2:
「令和ピボット」の詳しい考え方については是非、表現者クライテリオンの最新刊「令和への建白書」。
https://the-criterion.jp/backnumber/84_201905/
 

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静御前とオダマキ(苧環)

静御前
1.源義経はオダマキ(苧環)の花を静御前に見立てた。誰もいない山中であっても、決められた約束事を守り通そうとした義経と静御前。並み居る荒武者たちのまえで、女一人の戦いを挑んだ静御前。そこは、何百年もの間、武家の女性たちから愛され尊敬され続けてきた静御前の生き様がある。
2.静御前は白拍子だった人であり義経とのロマンス が有名、同時に彼女は当時の世を代表する薙刀の名手でもあった。武家の女性たちにとって彼女静御前は永遠の憧れだった。静御前に倣って薙刀を学んだ。静御前は日本史上もっとも多くの女性から愛され続けた女性であろう。
3.京の都で雅な生活をする義経は、鎌倉にいる兄の頼朝に疎まれ、ついに京を追われる。京を出た義経一行は、尼崎から船に乗って九州を目指すが、暴風雨に遭って船が難破し散り散りになってしまう。義経と静御前は芦屋の里に漂着する。九州落ちが不可能となり弁慶らと一緒に大和へと向かい平泉へ。
4.「静よ、これを私だと思って使っておくれ。そして私の前で、もう一度、静の舞を見せておくれ」 愛する人の前で、静御前は別れの舞を舞う。目に涙を浮かべいまにも崩れ落ちそうな心で、静御前は美しく舞う。それを見ながら涙する義経という名場面だ。
5.吉野の僧兵たちは、雪を踏み分け山の捜索に向かう。静御前は鎌倉へと護送され、厳しい取り調べを受けるが義経の行き先は知らない。頼朝は彼女を京へ帰そうとするが、彼女が妊娠五カ月であることを知る。出産の日まで、静御前を鎌倉にとどめ置くことになった。
6.よく春、花見が鶴岡八幡宮で盛大に執り行われることになった。頼朝は幽閉されていた静御前に花見の席で舞を舞うことを命じた。「もう二度と舞うまいと誓いました。いまさら病気とか身の不遇を言わないが、義経の妻として、この舞台に出るのは恥辱です」と八幡宮の廻廊に召し出された静御前は断った。
7.頼朝は「舞は八幡大菩薩にお供えする」として、花見の見せ物ではなく、神への奉納とした。着替えを済ませ舞台に出て舞を舞いはじめまた。「しんむしょう」という謡曲。鎌倉御家人を代表する武士たちが、笛や鼓・銅拍子をとり、桜が舞い、春のうららかな陽光のもとで、静御前が舞う。
8.どこか心の入らない静御前の舞に場内がざわめく。会場は騒然となり、敵の中にひとりいる静御前にとって、まるで地獄の牛頭馬頭たちのうなりに聞こえた。二曲を舞い終わり、床に手をついて礼をしたまま、舞台でかたまった。そのまま、じっと動かない。脳裏には義経の姿、敵の前で思うことを歌うと。
9.「いつも静、静、苧環の花のように美しい静と呼んでくださった義経さま。幸せだったあのときに戻りたいわ。吉野のお山で、雪を踏み分けながら山の彼方に去って行かれた義経さま。あとに残されたあのときの義経さまの足跡が、いまも愛しくてたまりません.」。舞い終え、女一人で戦いを挑んだ。
10.静御前は男の子を出産した。頼朝の命を受けた安達清常がやって来た。
かたくなに引き渡すことを拒んだ。安心した静御前は疲れて寝入ってしまう。磯禅師が赤子を取り上げ、使いに渡す。子を受け取った安達清常らは、その日のうちに子を由比ヶ浜の海に浸けて、殺してしまった。
11.敵側でありながら、静御前に深く同情を寄せる北条政子。義経の物語は、千年の時を超えて、いまも昔も日本人の心は変わらないものであることを教えてくれる。剛勇の御家人である安達清常、母である磯禅師など、合理的な解は、ただひとつ。「赤ちゃんは死んでいない」だ。
12.一度は失ったと思っていた我が子が帰ってくる。静御前は我が子と名乗りをあげることはできない。磯禅師も静御前も、名を変え、見知らぬ土地でひっそりと暮らすしかない。こうして、静御前の消息は、以後不明となっていった。歴史というのは、表面に現れた、書かれたことだけを読んでもわからない。
13.静御前の体力の回復を待って、すぐに鎌倉からの放逐を命じている。日本という国は、どこまでも命を大切にする国柄だ。けれど建前は建前として、たいせつにしていかないと、世の秩序が乱れる。その間にあって、ひとりの赤子の命を救った安達清常という武士は、まさに尊敬に値する武士である。

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豊田長康『科学立国の危機』(東洋経済)

1.著者は三重大学学長を務めた医学分野の研究者。ここでは、研究成果を権威あるジャーナルに掲載された論文数で定義した上で、論文数とGDPや豊かさ指標は正の相関を持ち、科学立国によりGDPで計測した豊かさが伸びる、としてそのための研究成果たる論文数の増加の方策を探ろうと試みる。OECD.Statをはじめとするかなり膨大なデータに当たり、さまざまなデータを駆使して我が国の科学技術研究の現状、そして、その危機的な現状を打開するため、決定的な結論として、研究リソースの拡充、すなわち、研究費の増加とそれに基づく研究員の増加が必要との議論を展開している。

2.本書の主たるターゲットは医学や理学工学など、いわゆる理系だが、経済学・方角、あるいは心理学などの文系も視野に入れている。鉄鋼業勤務30年間、二つの私立大学勤務20年間を通して、科研費の研究費申請、入試をはじめとする学内事務の記憶もある。研究については、学会誌などの査読付き論文や海外での発表論文など30編、そのうちからある部分をまとめて博士論文にもしている。そのままに「論文数は"カネ"次第」あるいは、未来を展開していく資源というのは事実でる。

3.研究リソースなくして研究成果が上がるハズもない。本書でも指摘しているように、我が国の研究に関しては「選択と集中」は明らかに間違いであり、むしろ、バラマキの方が研究成果が上がるだろうと思う。これも本書で指摘しているように、我が国における研究は大企業の研究費は一流である一方で、中小企業や大学の研究費は三流だ。でも、その一流の大企業研究費をもってしても、多くののノーベル賞受賞者を輩出してきたIBM基礎研究所やAT&Tベル研究所に太刀打ちできるレベルにないのは明白だ。

4.指摘しておきたい事をまとめておく。まず、因果の方向だが、本書では暗黙のうちに研究成果が上がればGDPで計測した豊かさにつながる、としている。でもGDPが豊かでふんだんに金銭的な余裕あるので研究リソースにつぎ込んでいるのかもしれない。でも、これは研究成果を通じてGDP的な豊かさに結実する可能性も充分ある。次に、我が国における国立研究機関の研究費のシェアの大きさについては、原子力研究などにおける高額施設につぎ込まれている。国立の研究機関、研究開発法人はかなりムダが多くなっている。はやぶさで名を馳せたJAXAのような例外もあるが、NEDOやJSTなどはお手盛り研究費でムダの塊のような気がする。この10年間、米国に匹敵するくらい自然科学系でのノーベル賞受賞があるが、この平成30年間での動きから見ると、この先、かなり苦しくなると思われる。役に立つ研究が分かっていれば、その成果も知れている。何かよく分からないが、お宝が埋もれている分野があり、そこへ人材や資金がツ入されるようになれば、日本の将来も安定である。

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『チボー家の人々』(Les Thibault)

『チボー家の人々』(Les Thibault)
1.ロジェ・マルタン・デュ・ガールの長編小説、1922年から1940年まで18年をかけて発表された大河小説で『灰色のノート』『少年院』(1922年)、『美しい季節』(1923年)、『診察』(1928年)、『ラ・ソレリーナ』(1928年)、『父の死』(1929年)、『1914年夏』(1936年)、『エピローグ』(1940年)の8部11巻からなる。1937年のノーベル文学賞受賞に導いた作品。
2.物語はカトリックの富裕な実業家の家であるチボー家の子息アントワーヌおよびジャック、それにジャックの友人でプロテスタントの家庭の息子であるダニエルの3人の少年が中心となり、彼らの青春を通じて第一次世界大戦期10年間のヨーロッパにおけるブルジョワ社会や思想状況が描かれていく。厳格な気風のチボー家で育った真面目なアントワーヌは医師となり堅実な道を歩むが、反抗児のジャックは感化院に入れられるなどした後、作家となり、やがて革命運動に身を投じる。
3.一方自由な気風の家庭に育ったダニエルは享楽家として描かれ、その妹ジェンニーはジャックと恋仲になる。やがて第一次世界大戦で、ジャックはビラ撒きの飛行機が墜落して重傷を負ったのち殺され、アントワーヌは毒ガスによって虫の息となり、ダニエルも戦場で負傷し障害を負う。彼らの希望はジャックとジェンニーの間に生まれた子供に託される。
4.高野文子の「黄色い本 ジャック・チボーという名の友人」(1999年)は、この作品を愛読する女学生の読書体験を漫画化した作品。主人公・実地子が田舎の学校生活を送りながらジャックの思想に共感し仮想の対話を行う場面などが描かれている。高野は本作を表題作とする短編集『黄色い本』で2003年、第7回手塚治虫文化賞を受賞。連続テレビドラマ、二度映像化されている。

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経済学とは学問か

経済の動きには理論はない
1.日銀は「輪転機ぐるぐる」で資産を激増させたがインフレは起こらず、長期金利はゼロに近づいている。この状況が永遠に続くとすれば、増税は必要ない。政府支出を増やして日銀が国債を買えば、子会社が親会社の社債を買うようなもので統合政府のBSで問題ない。MMT(Modern Monetary Theory)という。
2.首相が「輪転機をぐるぐる回して日本銀行に無制限にお札を刷ってもらう」と6年前に宣言したとき、多くの経済学者は嘲笑した。そんなことをしたらハイパーインフレになって財政が破綻する、というのが経済学の常識だからである。しかし最近は状況が変わってきたと、エコノミスト誌Economistは指摘している。
3.米国でもサンダースなどの民主党左派に支持されている。「政府が全ての人の最低所得を保障し、財源が足りなければ紙幣を印刷すればいい」というわけだ。そんなことをしたらハイパーインフレになるという批判に対して、彼らは「インフレ目標2%に近づいたら印刷をやめればいい」という。
4.MMTは、本質的にはFTPLと同じトートロジーだから、論理的には間違っていない。金利が上がると危険だが、むしろゼロ金利でも貯蓄過剰になっている日本では、民間の代わりに政府が消費するという発想で問題は起こらない。最終問題は、この財政インフレを政府が制御できるのかということだが、明治からのデータでは、放置しても問題はない。
5.「物価の財政理論」(FTPL)とはノーベル賞経済学者Sims教授の考えだ。インフレ・デフレは「貨幣的な現象」で、よって金融政策が貨幣供給量を通じて影響するものと考えられてきた。FTPLを簡単に言えば、政府債務の絶対額は増税なので減らす必要はないということだ。政府債務は財政投資でGDPを拡大すれば、経済が膨張して自然に債務は圧縮されるという。FTPL(Fiscal Theory of Price Level)
6.経済学には理論はないみたいだ。それは人間の欲望とか時代やプラスマイナスの存在箇所に支配されているからだろう。最低限、簿記のバランスシートで物事を考える習慣が必要だ。消費税の増税も減税も正しいわけだ。そうであるならば、殆どの国民には増税は嫌だから、据え置きか減税にするべきだ。

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