ある女子大教授の つぶやき

日常の生活で気がついたことを随想風に綴ってみたいと思います。
バンドン会議(AA会議)の評価

1955年バンドン会議の評価

1.1955年、アジア・アフリカ会議 (バンドン会議)に日本は招待された。第二次大戦後、アジアは植民地支配や日本の軍事占領から解放され、独立や新しい国家の樹立があいついだ。1945年9月にはベトナムが独立宣言。48年に朝鮮半島では南に大韓民国が、北に朝鮮民主主義人民共和国がつくられ、49年には中華人民共和国が成立した。

2.平和地域を拡大し東西間の緊張を積極的に緩和することを目指して招請されたこの会議に,日本,中国を含むアジア15ヵ国,中東8ヵ国,アフリカ6ヵ国,計29ヵ国の正式参加し,反帝国主義・反植民地主義を基調としてアジア・アフリカの連帯を強めるのに貢献した。韓国は招待されていない。

3.日本は高崎達之助経済審議庁長官を代表として十数名が参加した。他国はいずれも元首、首相級が出席し、政府レベルの国際会議となった。出席者のなかには周恩来、インドのネール、エジプトのナセル等の顔もあった。加瀬俊一外務相参与(後に国連大使となる)は、外務大臣代理で出席したのだが、その時の模様を次のように語っている。

4.「この会議の主催者から、出席の案内が来た。日本政府は参加を躊躇していた。アメリカへの気兼ねもあったが、何分現地には反日感情が強いに違いない、と疑っていた。出てみるとアフリカからもアジアの各国も『よく来てくれた』『日本のおかげだ』と大歓迎を受けた。日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々は今も英仏蘭の植民地のままだった。それにあの時出した『大東亜共同宣言』がよかったと称賛された。

5.大東亜戦争の目的を鮮明に打ち出し『アジア民族のための日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜共同宣言は歴史に輝く』と大変なもて方であった。日本が国連に加盟できたのもアジア、アフリカ諸国の熱烈な応援があったからだ。このように評価されている大東亜戦争の勇戦や、大東亜会議の意義だが、日本のマスコミや学会では取り上げられない。この辺にも日本の歴史認識や外交の未熟さがある。この話は名越二荒之助氏の「昭和の戦争記念館第5巻」(展転社)に掲載されている。

 

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現代金融理論MMT

1.MMTの骨子

1)自国通貨を持つ政府は、財政的な予算制約に直面することはない
2)全ての経済(及び政府)は、生産と需要について実物的あるいは環境的な限界がある
3)政府の赤字は、その他の経済主体の黒字

 

2.(1)は、「日本円建ての国債しか発行しておらず、自国通貨を持つ日本政府が財政破綻することはない」という話。

(2)は「政府におカネ的な制約がなかったとしても、供給能力の不足によるインフレ率が限界になる」と、言い換えられる。

今の日本政府が20兆円の国債を発行し、財政支出することには賛成しますが、これが「100兆円の新規財政支出」となると、反対します。さすがに供給能力が追い付くはずがなく、インフレ率が適正水準を超えて上昇してしまう。100兆円をいきなり追加支出するのではなく、10兆円ずつ「増やす」ことをコミットする方が望ましい。10兆円ずつ確実に予算=需要が増えることが明らかならば、民間は技術投資、人材投資、そして設備投資という生産性向上の投資を拡大し、供給能力が拡大していく。モノやサービスの生産能力、供給能力こそが「経済力」です。2については、経済力が強化されれば、限界値は上昇します。確かに「インフレ率が制約になる」のだ。

(3)誰かの資産は、誰かの負債。誰かの黒字は、誰かの赤字。地球上に住んでいる限り、逃れられない法則だ。

MMTは「現実」を踏まえた「経済学」といえる。

 

3.日本銀行が量的緩和で日銀当座預金を増やしたところで、政府が「消費」「投資」を減らす政策を推進している以上、インフレ率が上がるはずがありません。何しろ、我々一般の企業や個人は、日銀当座預金を借りることができないのです。

銀行がおカネを貸すのは、民間の資金需要(借り入れ)と引き換えで、その時点で銀行預金というおカネが「ゼロ」から創出されます。銀行は、日銀なり他の銀行から「資金を調達し」化しているわけではないのです。

ただ、貸すだけで銀行預金というおカネが発行される。イングランド王国のロンドンのゴールド・スミスの時代から、これは単なる「真実」です。

さらに、マイナス金利で銀行を痛めつけようが、貸し出し、さらには消費や投資が増えるはずがありません。何しろ、デフレで我々民間がカネを借りる気もなければ、投資や消費を増やす気もないのです。

まずは実体経済における需要(消費、投資)、さらには金融経済における資金需要が高まらなければ、貸し出しは増えません。金利も上がりません。インフレにもなりません。

そんなことは「現実」を見れば誰にでも理解できるはずなのに、経済学者は伝統的に間違え続けてきた。

 

4.アリストテレス、アダム・スミス、ジョン・ロックと引き継がれてきた「おカネに関する人類の勘違い」が根本にある。

(参考図書)「日本人が本当は知らないお金の話」

 この「勘違い」が原因で、日本に財政破綻論が蔓延し、見当はずれな「いわゆるリフレ派政策」が推進され、六年間を無駄にし、小国化、中国の属国化が決定的になりつつある。
 逆に言えば、MMTの影響などで、「正しいおカネの認識」に基づき、供給能力増強のための投資拡大をすることを考えたとき、実はデフレが継続している日本が最も潜在力があることになります。
 しかも、不思議な話ですが、デフレという総需要不足の状況で、人口構造の変化により人手不足が深刻化している。
 つまりは、人手不足を解消するために、政府と民間が生産性向上の投資を推進するだけで、我が国は一気に高度成長期と同じ「高圧経済」の状況になることになります。
 とはいえ、おカネに関する勘違いが続き、「ザイセイハタン」などとやっている限り、我が国は小国一直線だ。
 おカネに関する正しい認識を広めるためにも、MMTの登場を歓迎したい。

 

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MaaS(マース」連合

MaaS(マース」連合
1.国内約90社が手を組み、新しい移動サービスを提供する「MaaS(マース)」の開発に乗り出す。トヨタとSBを中核に、小売りや物流、不動産など幅広い企業が連携する新組織を発足。自動運転車を効率良くシェアする仕組みや自走する自販機など、次世代サービスの創出を目指す。
2.自動運転で先行するグーグルや国家主導で開発する中国をにらみ、業種の垣根を越えデータやアイデアを持ち寄る。トヨタとSBの共同出資会社モネ・テクノロジーズは次世代の移動サービスを開発するコンソーシアムを立ち上げた。MaaSの世界で、そのプラットフォーマーになる会社を育てる。
3.「モビリティー・アズ・ア・サービス」はデジタル技術の進展を背景に人々の移動に革新をもたらす分野。無人宅配や移動店舗などモノの移動にも変革をもたらす。コカ・コーラは需要のある場所に自ら向かう自走式自販機構想、フィリップスは病院が不足している地域で患者宅を回る移動クリニックの展開。
4.幅広い産業分野に地殻変動をもたらす可能性があるだけに、モネの新組織には商機を探る多くの企業が参画した。サービスの利便性や精度を高める上で欠かせないのがデータだ。移動のルートや渋滞状況、利用者の需要予測など、データが多いほど分析の精度が上がる。各社のデータを持ち寄り価値を高める。
5.データの収集や自動運転技術では、自社開発の自動運転車で公道試験を繰り返す米グーグルが先行する。中国は国家主導で開発が進む。北京郊外の新都市「雄安新区」では、全面ガラス張りでハンドルのないバスが街中を走り回っている。海外勢に国内のMaaSの主導権を取られるわけにはいかない」。
6.HVやFCVなど次世代技術で競ってきたトヨタとホンダのタッグは異例のこと。車業界がオープンに連携する第一歩だ。自動車産業の構造変化で、自動運転の実用化のカギは膨大な走行データの収集と分析にある。走行や制御に関わる基幹技術では競争も、1社では限界があるデータ収集やサービス開発では組む。
7.ダイムラーとBMWも高級車市場で競争する一方、MaaS領域は事業統合した。モネは他の車メーカーにも参画を呼びかける。グーグルなど異業種の巨人が先行する次世代分野で戦うため、過去にとらわれない提携戦略が広がる。
MaaS(マース」連合

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国際リニアコライダー建設へ決断を

 経団連、日本諸侯会議所、経済同友会の三団体は、2月20日、日本政府に対し、ILC誘致の意思表明を出し、国際協議を始めることを期待する声明を発表


 三団体の声明文は、以下の通りです。

 

『国際リニアコライダー(ILC)は、宇宙の起源や仕組みを研究する素粒子物理学実験用加速器施設であり、世界中の研究者が協力して設計・開発を進めている。
こうした中、日本の素粒子物理学分野発展への貢献や技術レベルの高さから、ILCのホスト国として、この分野の研究を牽引することが、諸外国の多くの研究者から期待されている。
ILCは、アジア初の大型国際科学技術拠点として、海外から数千人の優秀な研究者が集まり、国内外の最先端の技術が集積することも想定される。
日本政府には、ILC誘致に向けた「国際協議開始の意思表明(EoI:Expression of Interest)」を関係国に発出し、国際協議の開始を関係諸国に呼びかけることを期待する。
その上で、今後の誘致の最終判断に向け、誘致計画の精緻化、発現が期待される諸効果のさらなる検証、学術界をはじめとする関係者の理解の醸成に努めていただきたい。』

 

 経済三団体がILC誘致を求める声明を出した理由は、もちろん「自分たちのビジネス」のためなのでしょうが、それでも構いません。別に、日本中の人に「ILCの目的」や「人類の文明への貢献」といったマクロ的意義を理解してほしいとは思っていません。

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「南京の基督」芥川龍之介

1.南京に暮らす一人の少女が本作の主人公、名は宋金花、年齢は十五歳。私窩子、要するに売春婦で男と寝ることで生計を立てている。彼女の父はもう仕事ができるような状態でなく、売春でもしなければ生きていけないというわけだ。彼女は基督を信仰していた。毎日お祈りを欠かさない、という熱心な信仰者だ。こうしなければお父さんが生きていけない。こうすることで傷つくのはただ私一人の身だけ。きっと基督様はわかってくれるに違いない、とこういうわけだ。

2.彼女は梅毒に掛かってしまう。静養するが一向に良くならない。そんな時、売春婦の姉さんに教えてもらう「移せば治るよ」と。移せば治るのはいいけれど、移った相手はどうなったのと問うと、今はそいつは症状がひどくなって、片目がつぶれてしまったよ、という。金花は自身の身を苦しめることだけならば基督様もわかってくださるだろうと思っていたが、梅毒の件では自分が助かるためには誰かを傷つけてしまう他ないわけだ。ここで金花が取った行動は、人に移すことはできないと、やはり誰にも迷惑をかけることはできないと静養を続けた。しかし一向に病状はよくならず、日一日と彼女らの暮らしは追い詰められていく。

3.そんな時、突然ひとりの外国人がやってきた。金花の話も聞かずに、部屋に居座るわ。そして彼は、指で4つを示します。4ドルで買うよ、という。金花は言葉が通じないのならばと首を振り続けていたのですが、その指は、やがて5となり、6を示し、ついに10ドルとなった。彼女はどうにもその男が入ってきたときからどこかで会ったような気がしていた。ついにそうだ、この人は基督様に瓜二つだと思いいたった。この人は基督様かもしれない。そして、梅毒に侵されていた彼女は彼と一夜を過ごしてしまう。金花は夢を見る。キリストと過ごす夢を。その夢から覚めると、男はいなくなっていた。10ドルを払うことなく。まだどこかにいないかと金花は慌てるわけだが、そこではたと気づくのです。梅毒の痛みから解放されていることに。

4.彼女は後にやってきた日本人の旅行家にその話をした。その男はふと、少女を10ドルで買ったが、それを払わずに逃げてきたと自慢していた外国人のことを思い出した。彼はその後、重い病を患い発狂してしまった。おそらくその男のことであろうと思う。彼は金花に問う「あれ以来、病は発症していないのかい?」「ええ一度も」。

 

5.感想:

いろんな読み方ができる。たとえ男がキリストではなかったとしても、彼女の信仰のうちにその男が本当にキリスト化してしまったとも思える。あるいはキリストでもなんでもなく、彼女はその後、悲劇をたどってしまうのだろうなあとも思える。最後のオチの付け方からして、後者が妥当な気がする。

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韓国の独立記念日は4月17日

韓国の独立記念日は4月17日

1.日清戦争(1894−95)は日本が半島の権益を守り、日本の独立を守るため戦わざる負えなかった。その講和条約が下関条約で、その第1条が「朝鮮の独立を清国が認める事」とある。韓国の本当の独立記念日は下関条約が締結された1895年4月17日だ。600年間中国の属国だった李氏朝鮮が初めて独立した日だ。

2.日本は白村江の戦い(663)以後ずっと、中国の覇権主義に対抗してきた東アジア唯一の国だった。李氏朝鮮時代、王は清国皇帝の使者を郊外の迎恩門で迎え、屈辱の三跪九叩頭の礼を行っていた。600年も続いた中国の冊封体制からようやく脱した大韓帝国はこれを壊し独立門を建てた。なぜか韓国人の多くは日本からの独立を記念して建てたと誤解している。

3.第2次対戦前は欧米列強は植民地主義でアジア・アフリカを80パーセント植民地支配して収益を得ていた。昭和16年の日本の真珠湾攻撃、マレー半島侵攻からこの構図が崩壊した。まず大英帝国の崩壊だ。欧米列強の300年植民地支配の悪を隠蔽し、10年間の日本の軍事進攻が悪と全てすり替えた東京裁判だった。

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インテル入っている

1.インテルは世界最大のCPUメーカ、他の会社AMDもCPUを作っている。
CPU:中央演算装置、パソコンで最も重要な素子。パソコンの頭脳。
CPU製造社一覧:
パソコンのCPUはインテルの寡占状態、ノートブックに使われているAMDなどが、インテルの対抗馬。アップルもインテルだ。
このように、インテルの入っていないパソコンもあるので「インテルはいってる?」のCMは作られた。この英語バージョン「intel inside」は日本語の「インテルはいってる」を英訳したもので日本語の駄洒落が先だ。

2.嶋正利は1943年8月22日に生まれ、1967年東北大学理学部化学第二学科卒業.ビジコン社に就職し,電算部門で,各種のプログラミング言語に関する教育を受けプログラマとなる.1967年10月に電卓部門に移り、電卓の試作を担当する.当時日本は電卓の供給基地であり,OEMビジネスに適した論理方式を導入することを模索していた。嶋は,1968年11月に,10進コンピュータ・アーキテクチャとROMを使ったストアード・プログラム論理方式のプリンタ付き電卓を開発した.1969年6月に渡米し,10進コンピュータ・アーキテクチャを基本にした事務機向け汎用LSIシステムを開発する過程で,インテル社と協同で世界初のマイクロプロセッサ4004の開発を1971年3月に成功させた。16ピン・パッケージという制限のために4ビットの時分割システムバスを導入し,システムを,プロセッサである4ビットのCPU(4004),命令を格納する。

3.1972年11月にインテルに移り,8ビット・マイクロプロセッサ8080(1974年1月に完成)と現在のパソコンにも使われている周辺機器制御用ペリフェラル・チップ(割り込み制御8259,パラレルポート8255,タイマ8253,DMA8257,通信USART8251)などを開発した.8080には5,500個のトランジスタを使い,2MHzの動作周波数で約0.33MIPSの性能を達成した.チップ面積は19.6mm角であった.8ビット・マイクロプロセッサ8080は,高性能マイクロプロセッサへの道を拓き,「計算力」を若き創造者に開放し,世界初のパソコンを誕生させ,「プログラムの時代」をもたらし,ソフトウェア産業を花開かせた。1975年にザイログに移り,パソコン,ゲーム機や制御機器に広く使われた8ビット・マイクロプロセッサZ80と16ビット・マイクロプロセッサZ8000を開発した.1980年に帰国し,インテル・ジャパン・デザインセンタを設立した.1986年にマイクロプロセッサを開発するブイ・エム・テクノロジ−を設立し,インテルx86プロセッサと互換性のあるワードプロセッサに広く使われた16ビット・マイクロプロセッサVM860と32ビット・マイクロプロセッサVM8600を開発した.2000年に会津大学に移り,マイクロプロセッサ開発技術者を養成している。

4.1992年論文「マイクロプロセッサのハードウェアアーキテクチャの最適化に関する研究」により筑波大学より工学博士の学位を得た.世界初のマイクロプロセッサの開発により,1997年に第13回京都賞(先端技術部門)を受賞し,1998年に米国の半導体生誕50周年記念大会で "Inventor of MPU (Micro-Processor Unit) "を受賞した.著書「マイクロコンピュータの誕生:わが青春の4004」(岩波書店)ほか。

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IQ84

1.舞台は1984年の東京。スポーツジムの女性インストラクターである青豆(姓である。名前は最後まで明かされない)はタクシーにのって高速道路を走っていている。なぜかそこで流れている音楽がヤナ−チェックのものであることがわかる。車は渋滞に巻き込まれる。運転手に急ぐなら緊急停車場所から避難階段を降りる手があるといわれ、それを伝って降りる。出会った警察官の制服が今までと変わっている。
 予備校の数学教師をしている天吾は、小説も書いていて新人賞に応募している。そこでしりあった編集者である小松から才能をみこまれ、新人賞応募作の下読みをしている。ふかえり(深田絵里子)という17歳の少女が書いた「空気さなぎ」という小説を面白いと思う。ただ物語は面白いが文章はとても稚拙である。小松はその書き直しをしないかと天吾にもちかける。天吾はふかえりと会った。なんだか奇妙は話し方をする少女である。
 青豆は実はDV被害者の夫を殺すことをひきうける殺しのプロでもある。避難階段をおりた青豆はその仕事をする。仕事をしたあとでは男がほしくなる。そのためにいったバーで、警察官の制服が変ったのは二年前であること、米ソが協同して月面基地を作っていることなどを知る。
2.天吾は改作をはじめる。「空気さなぎ」の主人公は10歳の少女で、山の奥にある特殊なコミューンで盲目の山羊の世話をしている。山羊が死ぬ。その山羊はリトル・ピープルという異世界の小人が現れるための通路となっていた。でてきたリトル・ピープルたちは空気から繊維のようなものをとりだして「空気さなぎ」を作った。「空気さなぎ」ができると月は二つになった。
 青豆は殺しの依頼人である「柳屋敷」に住む老婦人をたずねる。そこで1981年に本栖湖でおきた過激派と警官隊との銃撃事件を知る。何でそんな大きな事件を知らなかったのだろうといぶかしく思う。不思議に思った青豆は図書館で過去の新聞などを調べ、自分が一種のパラレルワールドにいるのではないかと思うようになり、自分のいる世界を「1Q84」となづける。
 天吾の父は満州から無一文で引きあげてきて、NHKの集金人をして男手ひとつで天吾を育ててきた。今はアルツハイマー病のため施設にいる。天吾の母は天吾が小さい時に死んだことになっているが、天吾は母が別の男と逃げたのではないかと思っていて、自分はその男の子供なのではないかと疑っている。一歳半のころ母が別の男に抱かれているのを見たようなおぼろげな記憶があるからである。

3. 天吾はふかえりを一種の読字障害(ディクレクシア)ではないかと思う。ふかえりはセンセイとよぶ男に育てられたという。「空気さなぎ」は、ふかえりが語った物語りをセンセイの娘であるアザミが書き取ってできた小説らしい。天吾は青梅の奥に住んでいるセンセイに会いにいく。センセイは戎野という名のもと文化人類学者で、ふかえりの父である深田保とは親友だった。毛沢東思想の信奉者であった深田は、大学ストライキで退職したあと「タカシマ塾」という農業コミューンに参加するが、2年後にそこを離れ「さきがけ」という組織をつくる。その組織はやがて武闘派と穏健派にわかれる。武闘派は「あけぼの」という組織をつくる。ふかえりは深田の娘だが、その「さきがけ」から一人で逃げ出してきて、センセイに育てられてきた。そのころから深田とは連絡がとれなくなる。「さきがけ」は急速に変貌し、宗教団体となっていった。青梅からの帰りの電車の中でみた少女から、天吾は小学校のときに少しの間一緒だった少女青豆を想い出す。その少女の両親は「証人会」という宗教団体の信者だった。
 青豆には大塚環という友人がいた。それが夫のDVに耐えかねて自殺した。青豆はその夫を処刑する。それが縁で自分の娘をDVで失った「柳屋敷」の老婦人としりあう。老婦人はDVの被害者をかくまう「セーフハウス」を運営している。老婦人に自分は小学校のときに天吾という少年を好きだったことを告白する。シンングルズ・バーで男をさがしていた青豆はあゆみという婦人警官としりあう。その夜、青豆は月が二つあることにきづく。
4.「空気さなぎ」の改稿をしたことで、天吾は自分が変ったと感じる。意欲がでてきた。「空気さなぎ」は新人賞をとる。それはあくまで、ふかえりの作であるとされる。ふかえりの記者会見の予行演習を天吾はする。
 老婦人は「さきがけ」から逃げてきたつばさという少女をかくまう。そしてつばさをレイプした「さきがけ」の教祖を処刑することを青豆に依頼する。青豆はあゆみに「さきがけ」の調査を依頼する。あゆみもまた小さいころ父や兄から性的な虐待をうけた過去をもっていた。
 ふかえりは記者会見で自分の好きな文学として平家物語の「壇ノ浦合戦」を滔々と暗唱する。「空気さなぎ」はベストセラーになる。戎野センセイは深田の動静をさぐるためにふかえりが行方不明になったことにする。
 「さきがけ」の教祖の処刑を依頼された青豆は老婦人の用心棒であるタマルに拳銃の入手を依頼する。青豆は新聞であゆみがホテルで殺されたことを知る。老婦人から処刑のためホテル・オークラに午後7時にくるようにという連絡が入る。
 天吾には人妻である年上のガール・フレンドがいるが、ある日連絡がなくなり、しばらくしてその夫から「家内はもう失われてしまった」という電話がはいる。天吾は父のはいっている千倉の療養所を訪ねることを思い立ちでかけてゆく。

5.指示によりオークラにいった青豆は「さきがけ」の教祖であるリーダーのマッサージをする。リーダーは幼児を犯す嗜好をもつ異常者ではなくもっと深い存在であるように思えてくる。リーダーは「さきがけ」の指導者である深田保そのひとであり、いまはリトル・ピーピルの代理人となっているようである。そのために超能力をもち、あゆみの死もその力によるらしい。リーダーは世界の善と悪のバランスが保たれねばならないという謎めいたことをいい、そのためには自分が殺されねばならないという。青豆が自分を殺しにくることを知っていたのである。青豆はリーダーを処刑する。青豆は高円寺に隠れる。それは「偶然」天吾の住むところである。青豆は隠れ家ではじめて「空気さなぎ」を読む。
 天吾はふかえりをかくまっているが、ふかえりには予知能力があるらしく、青豆は直ぐ近くにいるという。天吾がそとにでると月が二つある。公園で月をみている天吾に隠れ家にいる青豆がきづく。あわててそこにゆくが天吾はもういない。
 天吾に千倉の保養所から電話が入り、父が危篤だという。青豆はタクシーで高速に入り、前と同じところで非常階段を降りようとする。しかし階段はなかった。青豆はピストルを自分にむけて引き金を引く。
 療養所の父は昏々と寝ていた。父は検査にゆく。空になったベッドにはいつのまにか空気さなぎがいる。それは割れて中には10歳の青豆が眠っているのが見える。だがそれはやがて消えてしまう。天吾は青豆を見つけようと誓う。

最後に、 この小説は「青豆」の章と「天吾」の章が交互にでてくる形で構成されている。青豆が「さきがけ」の教祖を殺す話と、天吾がふかえりの小説を改作する話が交互に進行していく。Book 1 と book 2 がともに24章という構成はバッハの「平均率クラヴィーア曲集」第1巻と第2巻にならったのであろう。ちゃんと本文にある。「『平均率クラヴィーア曲集』は数学者にとって、まさに天上の音楽である。十二音階すべてを均等に使って、長調と短調でそれぞれに前奏曲とフーガが作られている。全部で二十四曲。第一巻と第二巻をあわせて四十八曲。完全なサイクルがそこに形成される。」 青豆と天吾で前奏曲とフーガを構成する。

 20世紀にはいってからの小説のテーマはただ一つしかなくて、それは「なぜ小説を書くのか」というものであるという説がある。本書もまたその驥尾にふすものかもしれない。ただし、「なぜ小説を書くか」ではなく、「なぜ物語を書くか」であるかもしれないが。この小説のなかにでてくる「空気さなぎ」をめぐる議論はそのまま「1Q84」という小説についての考察を読者にうながさずにはおかない。

 また20世紀以降の小説の特徴として過去の小説から小説をつくるという技法がある。本書がオーウェルの「一九八四年」を下敷きにしたものであることはいうまでもない。わたくしは「一九八四年」を読んでいないから間違っているかもしれないが(いろいろなひとの紹介を読んで、だいたいどのような話であるかは知っているけれど)、その構成を下敷きにするというよりも、そこでの問題意識を主として用いているように思われる。たとえば「ビッグ・ブラザー」対「リトル・ピープル」。もっとも「さきがけ」のリーダーである教祖深田保には「ビッグ・ブラザー」がどこかに投影しているかもしれない。弱い「ビッグ・ブラザー」。深田保はかつて毛沢東主義者であった。毛沢東は「ビッグ・ブラザー」であったのか?

 さらに過去の小説から小説をつくるのとはやや異なるいきかただが、本書では「平家物語」からの引用があり、すばらしい効果をあげている。主上と二位殿入水の場面は、物語のもつ力を示すとともに、「1Q84」で死んでいく多くの女たちへの鎮魂ともなっている。「我が身は女なりとも、かたきの手にはかかるまじ」 さらに「平家物語」という仏教がまだ力をもっていた時代をえがくことによって、この小説の舞台である現代日本での新興宗教である「さきがけ」との対比をも暗示する。「極楽浄土とてめでたきところへ具しまゐらせさぶらふぞ」

 またチェーホフの「サハリン島」からの引用がある。「サハリン島」は小説ではなく旅行記あるいはむしろ調査報告書である。チェーホフがなぜこれを書いたのかという疑問は村上氏自身が「アンダーグラウンド」と「約束された場所で」という二冊のオウム真理教の地下鉄サリン事件についてのノン・フィクションを書いたことと重なる。そして本書はカルト宗教をテーマにしているのだから、オウム真理教の問題がその背景にあることはいうまでもない。

 「サハリン島」から引用されるのはギリアーク人という未開の人たちについての記述である。いまのわれわれとはまったく違う価値観のなかで生きるひとたちの話。彼らは不潔であるが争いをこのまず、家父長制度はないが女にはなんの権利もなく品物か家畜のようにあつかわれる女性蔑視の世界であり、法廷もなく、道路の意味を解さないひとたちである。これらは男たちによるDVが描かれる本書の一つの対照世界となっている。そしてここにチェーホフがでてくることは、あとのほうにでてくる「物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなければならない」というチェーホフの言葉のうまい導入にもなっている。ところでチェーホフは本当にこんなことをいったのだろうか? 似たようなことをいっていたようにも思うが拳銃ではなかったように思うが。
 とにかく、たくさんのことを考えさせる小説である。

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1984年 George Orwell

1984年 George Orwell

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1.この本を語る場合に必ずといっていいほど出てくる単語は、ディストピアだ。ユートピアの反対概念であり、日本語で言うと地獄絵図が妥当な翻訳だ。天国と地獄。どちらに行きたいかは普通聞くまでもないだろう、また逆にどちらを人間がより恐れているかも。西洋東洋問わず、天国の絵画と地獄の絵画は、その生き生き具合が全く違う。地獄やら悪魔やらを人間が考える場合の想像力の羽ばたき方といったら、どうしてSFは悪夢のような社会を描くのか、それは夢のような世界の話ではお話にならないからではないか。地獄絵図には動きがあるのだ。動いているように、見える。SFに限らず読書は必ず、主人公たちが「そんな世界」でじたばたする様を、読者は本の向こうから覗き込む構成になっている。さて、1984年における「そんな世界」とはどんな世界か。
2.そんな社会。監視社会。政府である党の権力は絶対で、過去すら党自らによって常に書き換えられていく。主人公であるウィンストンさんは、その社会の異常性に気づいてしまった異端者だ。彼は過去を捏造する自分の仕事への違和感を解消できない。それはできないというだけでその世界では「思考犯罪」を犯したものとみなされる。彼は作中遂に収監され、異端を「矯正」するためという名目で拷問にかけられ洗脳される。ついには党の象徴である「ビッグ・ブラザー」を愛するという彼自身の破滅の姿がラストシーンとなる。心の底からげんなりしてしまう、爽快感も一切ない、本当に嫌ーな終わり方だ。1984年は社会システムのアイディアから拷問方法から全てが私の知っている色々な作品のモチーフになって今の時代も世界中の人々を魅了しているように見える。20世紀少年のネタバレが、正義も何もないただの・・・といった構成も、権力のための権力を求めるのだと語る党幹部のトンデモ発言にそっくりだ。

3.地獄絵図が人を惹きつけてやまないのはそこに動きがあるからだ。正しくは、動いているように、見えるからだ。でもそれは、結局絵にすぎない。そこにあるのは、動いているようで実は同じ動きを繰り返しているにすぎないもの、とまったもの、即ち絶望だ。(そういう意味で、ユートピアもその実ディストピアと等価である = そこにあるものは現実からの乖離の幅だけ)
しかし、ウィンストンさんは言う。プロールたちの中に、希望はある、そうウィンストンさんは作中で何度もそう語る。「僕たちは死んでいる、しかし、彼ら(プロール)は生きている」と。
プロールとは、奴隷階級だ。虐げられ、職業は肉体労働に制限され、娯楽も党が自動的に組み替えてつぎつぎと作成する低級な音楽や映画で満足を感じるようにされている。
4.ウィンストンさんが見るのは、彼ら奴隷階級がふとした瞬間にデモを起こしそうなほどに一体感をもって興奮を起こすその瞬間だ。それは、その世界においてほぼ近い将来に革命を起こすのではないかと言う気さえそのシーンを読む限りにおいて読者に持たせる。当然だ、主人公のウィンストンさんがそう思っているのだから。彼によりそっている読者は自然に、彼らが本当に意味で「生きている」と実感する。ただし作中そのような希望が続くとは一切描かれない。その小さな希望すら、絶対に無理だという印象すら読者に与える。ウィンストンさんが望みを失うと同時に、読者も一緒に絶望を感じる。しかし、筆者であるオーウェルは粋な計らいを仕掛けている。ラストシーンに付録としてついている「ニュースピークの諸原理」だ。(ニュースピークの性質やそれを用いた社会抑圧手法についてはそれだけで面白すぎるので書かないことにするが、)一見何の面白味もない論文の体裁を持っているであるが、更にこの作中より未来、党の支配が崩壊したのではないかという内容が匂わされているというのだ。これは、文庫本の解説*1にあるトマス・ピンチョンというアメリカ作家の指摘であるが、まさに慧眼だと思う。それはそう思う、あんな無理のある政府ってない。

5.作中に出てくる世界の現状を説いた発禁本のいうとおり、世界の安全保障上均衡が取れ、党は国内問題に注力できる環境に確かにあるのかもしれない、しかし、それにしても、一人の囚人に対して党がかけるコストが異常すぎるのだ。(時間軸が全くかかれないためおおざっぱに見積もることすら出来ないが)単に人間をいたぶり、残酷に処罰し、見世物にして民衆のストレスの捌け口にする、それならまだ目的がはっきりしている、しかしそうではないのだ。
一個の「思想犯罪者」に対して、完全に肉体も精神も全て破壊し、党への忠誠心を植え付けて社会復帰させるプログラムが恐ろしいほど綿密に組まれている。しかも、社会復帰させたそのあとで射殺するという意味不明っぷりだ。そのための人材投入も半端ない。中枢も中枢の有力者らしき人物がマンツーマンで囚人の拷問にかかりきりになっている。しかも重要だと思うのだが彼が「うっとり」とした態度でその仕事に臨んでいるのだ。
囚人の個性により洗脳にかかる時間に差が大きくあることは言及されるが、どの囚人に対してもそれは徹底的なものとして描かれる
更に言えば、どうやら不満分子の摘発自体、党による自作自演の可能性すら作中否定されることはない。ウィンストンさんという獲物にロックオンし、罠であるアングラ骨とう品店まで舞台設定として用意して、7年を費やして立派な「思想犯罪者」にしたてあげ、
・・・確かにヒロインを代表するように党の思惑以外の行動をする人間の存在はあるがそれは党の書くシナリオに微々たる変化しかもたらさなかっただろう。思想犯罪者自体の育成と破壊、洗脳、射殺、そのシナリオを、党は延々と繰り返しているのではないか。
そうだとしたら正直、、、そんなことしている場合なのか、と思ってしまった。
プロールの人口のほうがよほど多いのだ。
実際に間抜けなウィンストンさんですらデモクラシーの不吉な兆候を見ている。
(間抜けといったのは、彼は作中形容されるとおりで、「形而上学的に考える能力に乏しい」からだ。彼は過去の事実を知りたいという熱意はあった、力がないながらも工夫して勇気も出して頑張ってせっかくプロールの老人をつかまえて貴重な各種の証言をつかむことに成功する、しかーし彼の感想は「つまらない断片ばかりで何もわからなかった」で終わってしまうのだ、断片は自分で繋いで考えなきゃだめだよう!内容がない話なんてありえないよう!と自分でもろくすっぽできないことを小説の主人公に求めるむちゃくちゃ)
6.思想犯罪者は、党の構成員に限られる。
プロールには監視の目も、教育(ここでは前述のニュースピークという意味)も届かない。その必要がないというのは党の考えなのだろう。少数でしっかり抑えて、バカな“民衆”の欲望をコントロールしておけば、謀反も起こらない、と。きっと、理論上はそうなのだろう。党は党員への徹底的抑圧とは対照的に、プロールの行動を把握することははなから諦めているし、実際にしようとしてもそこまで出来ないのだろう。プロールには、党が党員のそれを破壊した、“普通”の人間の感情やいとなみというものがしっかりと残っていて、ウィンストンさんはそれを見て「美しい」と憧れさえ抱く。“普通”の人間の感情やいとなみがあるということは怒りや批判精神もあるということだ。党が自分の権益を守りたいのであれば、その捌け口を常に用意し、暴走を起こさないよう繊細な調整が必要となる。しかし、劣悪な環境に抑えこんだまま、不満をいかにも適当なやり方(愛国心をあおったり、当たりの絶対にないギャンブルで騙したり)でごまかそうとする、そこにはウィンストンさんが受けた拷問のような徹底的な態度による、そういう意味での誠意というものが全く感じられない。安穏と身内の洗脳ごっこで溜飲を下げている暇はあるのだろうか。わざわざウィンストンさんという無害で貴重な人材を矯正させて事実上の死体化をした目的は何か。党は永遠であると党自身が信じられていないのに、それを「自らが」信じこむためだけが目的であったのではないか。党の継続の実現を本気で目指すのではなく、党の永遠という幻想をどうにかこうにか実感として繋ぎとめるため、全能感を感じるためだけ、そのマスターベーションが止められなくなっちゃったみたいな妄想の妄想による自作自演の姿ではないか。

こうしてモチベーションが完全に内向化した種類のナルシズム的な政府の終焉をオーウェルは皮肉っぽく描いたのかもしれない。そして、民衆への希望を(薄く、非常に薄くだがしっかりと)描くことで、1984年は、地獄絵としてだけではなく、現実に近い(=リアリティーのある)写し絵としてより人を惹きつける作品となっている。

| - | 06:27 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP
SEO対策

SEO対策
1.SEO対策(Search Engine Optimization)とは、 検索結果で自社サイトを多く露出をするために行う対策のこと。 検索エンジン最適化とも呼ばれる。ほかにも 検索結果に表示されるものとして、 リスティング広告がある。リスティングはお金を掛ければ上位表示ができる。
2.SEO対策はお金をかけたからといって上位表示が約束されてはいない。また表示場所も違う。Googleの SEO対策ができていればYahoo!も対策できたことになる。Yahoo!は、Yahoo!の保持している コンテンツや提携先の情報などの独自の 検索結果を差し込むので、それ理解しておく必要がある。
3.「被リンクが多いサイトほど上位表示されやすい」。これは被 リンク( 外部リンク)を多く集めているページは、きっと評価が高い ページであろう、と評価する Googleのロジックがあった。今ではそんな単純な話ではなくなっている。過去の SEO対策に共通しているのは「テクニック」寄りだ。
4.「被リンクを付ければ順位があがる」「文字数が多い方が良い」など。その究極が「 ブラックハット SEO」で、 Googleが評価するロジックを探し出し、そこへ SEO対策を集中的に行うことで Googleに良いWebサイトと誤認させるやり方。Googleはそうしたやり方に対して対策を講じている。
5.テクニック寄りのものが効果が無いわけではないが、それをやれば上がるというような単純化されたものではない。Googleの基本的理念「全てはユーザーのため」である。 Googleの10の理念。
https://about.google/intl/ja_JP/
6.Googleは、 ユーザーが入力した検索 キーワードに対して、より良い コンテンツを 検索結果として返すことで ユーザーの満足度を高めたいと考えている。ユーザーにとって、より質の高い 検索結果を返すことにつながるものを評価する。質を高める仕組みとしては・パンダアップデート・RankBrain
7.昔から SEO対策には "被リンクが重要" だと言われてきた。最近では被リンクは効果がないとも言う。答えは「今でも被リンクは重要」だ。以前のように単純に被リンクを付ければ検索順位が上がる時代は終わり、質の高い被リンクのみが効果がある時代になっている
8.質の高い被リンクが自然に集まるような コンテンツというのは「質が高いがゆえに リンクを貼りたくなる」という流れである。"独自性の無い コンテンツ" にリンクを張らない。"紹介したくなるような コンテンツ作り" をしていれば、自ずと コンテンツに付けられていく被リンクも質が高くなっていく
9.現在 Googleが重視しているのは「 コンテンツの質」。文字数を増やしたり、意味がつながらないような文脈で キーワードを入れたりするのはダメ。すでに検索上位に表示されているWebサイトが3,000文字程度でオリジナル要素も含めた内容の濃い記事を書いている。200文字程度では検索上位は難しい。
10.不自然な キーワードを入れる必要はない。必要な箇所に適切な キーワードを挿入すること。 ユーザーがどのような情報を求めているのか、すでに上位に表示されているWebサイトではどのような情報が提供されているのかを研究しながら、最適な文字数や適切な キーワードを盛り込んだ記事制作が必要
11.コンテンツ SEOとは、継続して コンテンツを発信することで検索からの流入を増やし、Webサイトの露出を多くしていく SEOだ。 コンテンツ SEOとは「良い コンテンツを発信することで、検索からの流入を増やし露出を多くしていく SEO」であると言える。

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